2015イスラエル&モロッコ旅行No.5:エルサレム最終日その2 悲しみの道「ヴィア・ドロローサ」

訪問日時:2015年4月26日午後

エルサレム観光でも重要な悲しみの道「ヴィア・ドロローサ」、初日にも少し歩いきましたがこの日も再び。

「悲しみの道」を再び

オリーブ山を下って、再びエルサレム旧市街へ。

一番東側にあるライオン門(上の写真)をくぐり、1、2分歩くとそこからは「悲しみの道」、すなわちイエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いた道が始まります。以下、「悲しみの道」について、一部Wikipediaより抜粋。

イエスの処刑からおよそ二千年後の現在の地理上では、ヴィア・ドロローサの始発点はエルサレム旧市街北東のイスラム教地区にあるライオン門付近、終着点は旧市街北西のキリスト教地区の聖墳墓教会内にあるイエスの墓に相当する。その間、始発点と終着点を含めた計十四箇所に留(りゅう)と呼ばれる中継点が設けられており、第9留までが旧市街の入り組んだ路地の途中に、残りの五つが聖墳墓教会の内にある。(Wikipedia:ヴィア・ドロローサより)

順を追ってこの「留」について説明していきます。文章は主にWikipediaを元に適宜加筆していきます。

「第1留 ピラトに裁かれる」

イエスが時の提督ピラトによって裁かれ十字架刑を宣告された場所。ちなみにピラト邸は現在学校になっています。内部には入れませんでしたので(時間帯がよくなかった?日時がよくなかった?)、目の前の道の写真の掲載とさせていただきました。わかりづらいですが、この上の写真の左手となります。

「第2留 有罪に定められ、鞭で打たれる」

ここでイエスは十字架を背負わされます。現在この場所には「鞭打ちの教会」および「有罪判決の教会」があります。ともに十字軍時代に建てられたもの、写真は有罪判決の教会。

このあたりの通りの風景はご覧のとおり。まだこのあたりはおみやげ屋は少ない方です。

「第3留 最初に倒れた場所」

ピラト邸から200m程度進み左に折れる道で、イエスは最初に十字架の重みで躓いてしまった、その場所が第3留です。このあたりの一角はアルメニア使徒教会が管理しているとのことです。

「第4留 悲しむ母マリアと出会う」

第3留のすぐ近く、同じくアルメニア使徒教会が管理している敷地内。十字架を背負って歩くイエスとマリアが遭遇した場所とのこと。現在は教会が立っています。カフェもありました。

続いての留に向かって歩き始めます。このあたりから人も多くなり、商店も数多くなってきます。にぎやかな場所です。

「第5留 キレネ人シモンがイエスを助ける」

悲しみの道がちょうど右折するポイントにあるのがこの留です。イエスに変わって十字架を背負ったシモンという人を記念する留だとか。中には小さな礼拝堂がありました。中は人が多くて撮影しにくかったので外からのみの撮影。

「第6留 ベロニカがイエスの顔を拭く」

ちなみにこの「ヴェール」は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に保管されているとか。

ベロニカはイエスの顔を拭うために布を持って家から出てきたのだが、このとき用いた布にイエスの顔が浮かび上がり、「ベロニカのベール」として後世に語り継がれることになった。(Wikipedia:ヴィア・ドロローサより)

「第7留 二度目に倒れた場所」

その名の通り、イエスが十字架の重みで再び倒れた場所とされています。このあたりからアラブ人街のスーク(市場)の中心に入ってきますので、暗く狭い路地にたくさんのお店が並ぶエリアとなってきます。人もとっても多いエリア。

「第8留 イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける」

イエスがエルサレムの婦人たちに、

「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことがない乳房は幸いだ』という日が来る。」

と語りかけた場所とされています。

ちなみにこの留と次の留は、ヴィア・ドロローサの通りから少し外れたところにありました。これまでに幾度と無く場所が改変されているようです。

「第9留 三度目に倒れた場所」

ここもヴィア・ドロローサのメイン通りのスークから脇道に入った先にあるのですが、第8留よりも更に外れたところにありました。そして実は福音書には書かれていない留のようです。なるほど。あらためて調べてわかったのですが、この場所から聖墳墓教会の屋根裏に入ることができたようですねー。うーん、残念。

ちなみにここを訪れた時、あまりに人が少なかったこと、そして、IS関連の垂れ幕がかかっていたこともあって、一人での長居はやめたほうがよいかなっと判断、ささっと写真を撮ってスークに戻ってしまいました。奥に教会らしきものは合ったのですが、あまりにも寂れており、そして人もいないので、ちょっと怪しくなったんです。これは次回以降リベンジ訪問が必要です。

「第10留 衣服を剥ぎ取られる」

ここから聖墳墓教会となります。まず入り口右隣りにある小さな聖堂が第10留です。

「第11留 十字架が立てられる」

この階段から十字架が立てられたという「ゴルゴダの丘」、といっても教会内部のチャペルですが、に向かうことができます。しかし、なんてこった、肝心の内部の写真が残っていない。撮り忘れたのかなあ…。とにかくすごい人出だったことは覚えています。やっぱり事前調査が足りない…。

しかし、ゴルゴダの丘には知らない間に登っていたのでよしとしましょう。

「第12留 イエスの死」

第11留のすぐとなりとのこと。ここも写真撮り忘れです…。無念。とても狭いエリアだったことを覚えています。

「第13留 十字架の下の母マリア」

聖墳墓教会にすぐ入ったところにある留。この場所はゴルゴダ丘のふもとということです。イエスの亡骸に香油を塗ったとされる赤大理石の台があり、多くの巡礼者がひざまずいてキスをしていました。この教会に入った時に「聖地」を実感する最初のポイントとも言えるでしょう。

「第14留 イエスの墓」

ここはこの日の朝最初に訪れたところ(前回の日記)。午後に再び戻ってきた時には多くの人で行列になっていました。内部は先にも書きましたが2部屋構成となっており、最初の部屋は礼拝堂(待機する場所)で2部屋目にイエスが眠る石棺が納められている部屋です。

以上が「ヴィア・ドロローサ」でした。こうしてまとめて見ますと、キリスト教の歴史の重み、そしてエルサレムの歴史の重みをあらためて感じました。そしてとても勉強になりました。確かに聖墳墓教会内の留については、見学こそしたものの、写真を撮り忘れも多かったわけですが、それもこうしてあらためて振り返ったからこそ気がつけたこと。こうした知識は、聖書を読むなりして知ることはできるでしょうけれども、実際に現地に足を運んで「実感」することで、より深く理解できるようになる。これも僕にとっては旅行の大事な目的のひとつ。

なお、ヴィア・ドロローサ再散策後に、聖墳墓教会近くで昼食。よりによってまたブロシェット、美味しかったですがそろそろ飽きてきたかも。

さて、3日目の日記はあと1回ほど続きます。

プロフィール

都内の会社に務める傍ら、休暇を利用して旅行をしたり音楽活動をしているビジネスマン。趣味は、旅行、音楽など。旅行はヨーロッパが中心、現地でレンタカーを借りて旅することにはまっています。フランスの最も美しい村全156箇所を完全制覇!音楽はクラシックが中心。ヴァイオリンの演奏もします。最近は健康のためにランニングを開始。マラソンも。Marathon du Médoc 2014含む数回のフルマラソンを完走しています。