2015イスラエル&モロッコ旅行No.3:エルサレム2日目 嘆きの壁、パレスチナ自治区のベツレヘムへ

訪問日時:2015年4月25日

ベツレヘム、パレスチナ自治区へ行き、この国の矛盾のひとつを知った1日。そして、もう少しガイドブックをしっかり読むなど下調べしてから旅はすべきだなあと思った一日。

前日しっかりと眠れたので体調は万全。この日のエルサレムは快晴。朝はさすがに冷えるのかと思いましたが、既に9時には20度を超えており、まったくもって上着は必要なさそうでした。

ユダヤ人の聖地「嘆きの壁」へ

この日は土曜日、ということはユダヤ教にとっては安息日、ということで、朝一番に目指す場所は、このエルサレムにあるユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に決定。ホテルのあるヤッフォ門からは徒歩10分程度。アラブ人街とは対照的にきれいに整備されたユダヤ人街をくぐり抜け、岩のドームが聳え立つ神殿の丘の一角にある「嘆きの壁」に到着。ちょうど安息日の土曜日ということもあり、既にたくさんの超正統派ユダヤ人が壁に向かって、お祈りをしておりました。

ちなみに入場料は無料。簡単なセキュリティチェックがあります。なお、土曜日に限っては嘆きの壁内部での撮影は禁止。ということで、外側からその全景を撮影しただけでした。

さて、既に街中で多くの超正統派ユダヤ人を見かけておりますが、こうして嘆きの壁(現地ではWestern Wallと呼ばれています)を近くにして、彼らの祈り(おそらく聖書を読み上げているのでしょうか)を直に目撃し、彼らの長い歴史、民族の一体感をより強く感じることができました。ただ、こうした宗教観がない我々からすると少々違和感もあったのは事実です。

バスでベツレヘムへ、まずはチェックポイント

嘆きの壁の次は、そのすぐ上にある神殿の丘へと向かおうとしました。嘆きの壁のエリアから一旦外に出て、そのすぐ南側にある別の入口から、ムスリム以外の一般人が入れるようですが、午前中は封鎖されていたようなのでまた午後1時くらいにこようと決めました。ということで、それまで暇なのですこしばかり遠出を、ということで選んだ行き先がベツレヘム。

ベツレヘムへはバスで行きます。まずエルサレム旧市街北側のダマスカス門をすぐ出たところにあるバスターミナルへ向かいました。

ベツレヘムは、エルサレムから30分ほどと聞いています。外国人は一度街の北にある「チェックポイント」というところで降りてからでないと入れないということなので、そこまで向かうバスに乗り、およそ10分程度で目的地に到着。

これがそのチェックポイント。つまりコンクリートの壁。ここは徒歩で通うかしなければなりません。

少々遠回りになりますが、特段チェックも受けずに無事通過。抜けた先待ち受けていたのは「パレスチナ自治区」。もちろん初めて。そして、その光景の差にちょっとびっくりしました。きれいに整備された近代的なエルサレムの郊外と比較すると、正直非常に埃っぽく廃れている。これがパレスチナなのか。

そして、チェックポイントを出たところでタクシーが大量に停められていたので、迷わずその1台に「ベツレヘムの街に行きたい」と伝えました。とてもよい感じのアラブ人のおじさんがクルマまで案内、そしてタクシーに乗り込み、やや荒れ果てた自治区の中を走り出しました。後ろの席に座っていましたが、「マイフレンド、助手席のほうがよく見えるから前へおいでよ。」ということで、助手席へ移動。まあ相変わらず人懐っこい人たちだなと、まあここまでは良かったです。

まもなくベツレヘムへ、という手前の道で当然ドライバーは左折。あれ?っと思い「ベツレヘムはまっすぐじゃないのか?」と聞いたところ、「すぐ先に有名な教会があるからそこへ連れてってやるよ」と。まあこの時点で甘かったなあと、結構フィートられるなあと覚悟。それでもGoogleマップで位置を確認すると、確かに「羊飼いの野」に向かっている。正直、市内の「生誕教会」だけでよかったのだが、せっかくなので言われるがまま行ってみることにしました。

羊飼いの野

勝手に連れて来られたこの「羊飼いの野」、聖書にも記載のあるということで、とても有名で多くの観光客で賑わっていました。ここにいた羊飼いたちが神からイエスの誕生を知らさらたということだそうです。

ただの丘というか野なのですが、そこには小さな教会が立っています。でも結構新しい感じの教会であり、たいして見どころはありませんでした。15分くらい適当に滞在、入り口でタクシーの運転手が待っていたので再び戻り、次の場所へと連れてかれました。

なお、この羊飼いの野の入口付近にあったカフェでミネラルウォーターを購入。ベツレヘムもとても良い天気。お店の人はドルを要求してきましたが、イスラエルの通過シュケルも利用できました。しかし、どうやらこのパレスチナではシュケルではなくドルが流通しているようです。

ヘロデオン

続いては連れて来られたのは、ヘロデオンという場所へ。こちらもベツレヘム郊外の観光スポットのようです。といっても丘の頂きにある単なる要塞の後。遺跡です。こちらもさほど見どころがあるわけではなかったのですが、ここから臨む景色は確かに素晴らしかったです。遠くには死海を見ることができました。

この後、執拗にヘブロンにも行かないかと言われましたが、時間ないし幾ら取られるかさっぱりわからなかったのでとにかく断りました。

ようやくベツレヘム市内へ、しかし…

これでようやく本来の目的地ベツレヘム市内へ。今度こそ間違いなく連れて行ってくれもらえました。ベツレヘム旧市街も丘の上にある街、そこまでに至る坂道はとても旧でした。

さあこれでようやく本格的な観光ができる、とおもいきや、甘かった。変なおみやげ屋に連れて行かれました。ハンドメイドの木造彫刻がこのあたりの名産らしく、それを執拗に勧められました。値段はいずれも数100ドルもする高価なもの。さすがの僕もキレて、思わず「そんな金はない!せいぜい20ドルが限界だ!」と大きな声を上げてしまいました。

これだけ強くはっきり言ったこともあり、小さな土産を購入するにとどまり、ようやく観光に向かうことができました。

聖誕教会(Basilica of Nativity)へ

ベツレヘム一番の見どころはやはりここでしょう!

ヨセフとマリアがベツレヘムにたどり着いた時、彼らは宿を見つけることが出来ず、イエスは馬小屋として使われていた洞窟で生まれました。この洞窟の上に建てられた見事な教会が聖誕教会です。最初の教会は4世紀前半にビザンティンの皇帝によって建てられましたが、現在の教会は530年に建設されたものです。外からはまるで要塞のように見えます。侵入者から教会を守り、馬に乗ったまま入って来られないよう入り口は狭く低く造られています。

そして、この教会の中にもやっぱりいましたガイドが。一応、市から許可を取っているようです。ここまで来ると僕も慣れてきたので、「いくらだ」と尋ねると「30ドル」と言ってきたので、「5ドルなら雇ってやる」と言ったら、20ドル、15ドルと下げてきました。そもそも手元にはガイドブックありましたし、ガイドは邪魔だから必要ないということで、「高いからノー!バイバイ」といって無視し続けて、勝手に観光を開始しました。

とても小さい入口をくぐっていざ中へ。聖誕教会自体は古さこそ感じますが華美ではありません。しかし、なんとなく不思議な雰囲気はしました。そして、教会の地下には「聖誕の洞窟」があります。かつて馬小屋として使われていた洞窟であり、イエスはここで生まれたのです。非常に狭い場所なのですが、物凄い観光客でごった返していました。

たくさんの人がこの場所にキスするために並んでいました。人の入れ替えがとても激しかったのですが、その隙を見て撮影に成功。

ミルク・グロット

最後に聖誕教会の脇にある「ミルク・グロット(Milk Grotto)」と呼ばれる小さい教会を観光しました。伝説によれば聖母マリアがイエスと一緒に隠れていた場所で、ヘロデ王に追われ慌てて出発する時、彼女の母乳が数滴滴り落ちた瞬間、当たり一面の岩が白く染まったと呼ばれております。

この伝説の真偽はさておき、非常に美しく可愛らしい色合いとデザインの教会でとても印象的でした。小さいので5分程度の観光となりました。

矛盾を感じつつ渋々払うことに

ミルク・グロット見学の後、再びタクシーに乗り、再びチェックポイントに戻ることにしました。ということでいよいよ料金の要求。はじめは200ドル+手数料とのことだったのに、最終的に300ドル払えと言ってきました。高すぎると主張、腹が立ちましたが後の祭り。彼は一歩も譲らず。乗ってしまったら最後ということですね。

ということで、現金そんなにないよと言うと、「安心しろ」とばかりにクルマを走らせ、ベツレヘム郊外のATMがある銀行の前まで連れて行かれ、そこで300USドルを下ろすことに。正直ここでキレて、自分の言い値をタクシーにぶちまけてチェックポイントまで歩いて行くことも可能でしたが、それもなんだか哀れに思えてきました。確かに生活は苦しいのかなあと、そういう様子には見えました。相当、虐げられた辛い歴史を持っていることについては理解し同情できますし。ホントどうやって暮らしているんだろうと、日本しか知らない自分にとっては疑問だらけ。

でも、だからといって、ぼったくるのは別話。

これがアラブ、パレスチナの常識、よく交渉もコミュニケーションを取るための位置手段なのかもしれませんが、正当な商売をするべきで、最初から相手に誠意を持って妥当な値段を提示するべきだと思います。誠実であるべきなのは、文化宗教を問わず普遍的なはずです。

言い訳、負け惜しみかもしれませんが、なんでしょう、こうして後で正々堂々と主張することを正当化するために、言い値通りに払うのもありかと、ある種自分自身を慰めつつ、言い値通りに300ドルを支払いました。

もし、日本にいるパレスチナ人にあったら、このことについてどう思うかぜひとも聞いてみたいものです。まあ一部の人と答えるのでしょうが。

パレスチナ難民キャンプへ

その後ですが、チェックポイントに戻る前に、パレスチナ難民キャンプへ連れて行かれました。彼らなりにイスラエルの圧政について知ってもらいたかったのでしょう。その気持もわからなくもないですが、正直言えば、その直前にぼったくられている一観光客の身からすると、むしろいますぐ同情して欲しいのはこちらだという思いが強かったです。

「写真を撮れ」と言われ渋々撮影はしたものの、単に汚く荒れている場所にしか見えず、しかもそれはなんだか見た目ではなく彼らの心の一部を反映しているかのように感じて、あまり同情を感じることはありませんでした。ちなみにこのエリアの至る所にはあるイギリス人アーティストによる、イスラエルへの抗議を表す絵があちこちに書かれています。彼はこれを撮影して世界に発信してもらいたかったようです。

僕は別にイスラエルに一方的に味方したりするわけではないです。それは同様にパレスチナをひいきすることでもないです。あくまでも歴史的背景を理解しつつ、宗教的、政治的には、中立的に平等の立場を取ります。その観点では、今観光客である僕に対する「おもてなし」のみで良し悪しを判断します。

なお、このあとモロッコに行くのですが、モロッコの都心部ではきちんと商店に値札を付けて、多少の交渉はあるでしょうけれども、過度にぼったくったりせず、事前に正当な相場を提示する、と形で商売をしていましたと思います。よほどこちらの方が好感持てます。

失敗からの経験

ベツレヘムへ行く場合は、エルサレム市内で現地ツアーを手配したほうが無難だと思います。宿泊したホテル経由でもよいですし、あるいはヤッフォ門側の代理店でも斡旋しておりましたので、こちらもよいかもしれません。値段的にはシャトルバスツアーであればせいぜい200から300シュケルといった感じでした。要するに10,000円することはまずないといことです。もしかしたらもっと安いツアーを見つけることも可能でしょう。

タクシーをチャーターするとどうしても半日もしくは1日となるので、やはり1万円以上、場合によっては2万円はするのかもしれませんね。そういう意味では、僕は倍取られてしまった、といったところでしょうか。

いずれにしても、事前にもっと下調べをし、さらに現地でしっかりと交渉して臨むことが大事だということを痛感しました。

再びイスラエル側へ。

そうはいってもお世話になったタクシーの運転手さんにお礼を言い、今度はパレスチナ自治区側からチェックポイントを通過します。イスラエル→パレスチナというルートでは全く検問等はなかったのですが、パレスチナ→イスラエルというルートの場合は、手荷物のX線検査があり、IDチェックがあるようでした。しかし、手荷物X線検査は全員必須でしたが、IDチェックはパレスチナ人だけのようで、日本のパスポートを持っている私はパスポートの中身すら見られなかったです。

ということで、行きよりは時間がかかりましたが、無事にチェックポイントを通過、行きにバスが停まったところあるバスに乗って、再びエルサレム市内へ。ちなみにこのバス、行き先が書いてありませんでしたので念の為に市内に行くか確認してから乗りました。20シュケルくらいでしたでしょうか。再び非常に整備された道路や街並みを見ながら、エルサレム・ダマスカス門に到着。

ユダヤ人街へ

ダマスカス門周辺の喧騒したエリアをくぐり抜け、向かったのは再び「嘆きの壁」付近。午後1時から神殿の丘へ再び入れるということだったと思ったので、嘆きの壁のすぐ隣にあるゲートへ向かったのですが、一向に開く気配なし。おかしいなと思って、ガイドブックを確認すると、「金、土曜日は入れない」としっかり書いてありました。チェック漏れでした。

仕方がないので、ユダヤ人街をさまようことに。

エルサレムの南側の小さな一角なのですが、非常にきれいに整備されており、道や家並みもきれい。広場も明るくて充実。1時間ほどゆっくり散策。その後、おなかがすいた&疲れたので、一旦ホテルへ。なおユダヤ人街レポートは、翌日もゆっくり歩いたので、そのときに合わせて書こうと思います。

ランチタイム、酒が飲めるぞ!

そのホテルのすぐ側でランチタイム。ホテルの近くはキリスト教地区、ということで、レストランによっては「お酒が飲める!」

イスラエル初めてのビールとなりました。イスラエルでもビールやワインを造っています。やっぱりこの快晴下に飲めるのは幸せだ。

アルメニア人地区を抜けてシオンの丘へ

軽めの食事を済ませた後は、もう少しだけ街を散策。今度はエルサレム市内南西側に向かいます。まずはアルメニア人街があります。ただ、見どころは少ない上、教会も原則撮影禁止。観光的にはイマイチなエリアだった気がします。気のせいか人々もなんだか素っ気無い感じでした。

さらに南へ向かうとエルサレム旧市街の城壁にあたります。ここにある「シオン門」をくぐると、「シオンの丘」と呼ばれるエリアエリアにたどり着きます。

ここにも数多くの史跡があります。代表的なところとしては、あの「最後の晩餐」を行った部屋「ダビデ王の墓」、そして「マリア永眠教会」でしょう。そのせいか観光客もものすごくたくさんいました。

まずは、最後の晩餐の部屋。今は何もないエリアですが、やはり聖書に登場する場所とあってロマンを感じます。キリスト教にとっても大事な場所ですが、イスラム勢力がエルサレムを占領していた時代にも、きちんと保護され続けた場所だそうです。

続いて、「ダビデ王の墓」。ユダヤにとってダビデは偉大なる王の一人。ということで、たくさんのユダヤ教徒の人々が聖書を読み、そしてお祈りをしておりました。ちなみに見学は無料でできますが、写真撮影は禁止です。とても小さな非常にきれいに管理されていました。そして、建物内に机や本棚があったせいでしょうか、なんだか自習室的な雰囲気もありました。

最後に「マリア永眠教会」を観光。こちらもとてもきれいな教会でしたが、意外と人が少なかったです。ドイツ系の団体が管理しているせいなのか、ところどころドイツ語表記があり、教会内でもドイツ語がよく聞かれました。古いのかとおもいきや1910年に建てられたという比較的新しい教会でした。

夕食はキリスト教区内で

まだ時差ボケの影響もあるので、少し昼寝をして休憩。そして夜に。今夜こそは外で食事を。ということで、やはりお酒を求めてホテル近くのキリスト教地区をさまよいます。すぐ近くのアルメニア人地区にもお酒が飲めるレストランがあるようでしたが、やや離れているのとあまり個人的な印象がよくなかったので、ホテル近くのキリスト教地区を選択。よさげなヨーロッパ風レストランを発見、こちらにしました。

今度はワインを、お食事はエルサレム風サラダ、そして本日のメインディッシュにしました。ワインはイスラエルワイン、味わいはまずまず、お食事はとても美味しかったです。ヨーロッパからの観光客が多かったのも印象的でした。それにしてもお米がおいしかったです。

モロッコに行くとおそらくお酒は飲めないでしょうから、ここで飲んでおかないと。

嘆きの壁、パレスチナ自治区、アルメニア人地区、そしてシオンの丘、イスラエル初のお酒、前日とはうってかわって盛りだくさんの一日。エルサレムの歴史とパワーを思う存分満喫できたと思います。さて、翌日はエルサレム滞在最終日。ぜひとも神殿の丘に向かわなければ!

(続く)

プロフィール

都内の会社に務める傍ら、休暇を利用して旅行をしたり音楽活動をしているビジネスマン。趣味は、旅行、音楽など。旅行はヨーロッパが中心、現地でレンタカーを借りて旅することにはまっています。フランスの最も美しい村全156箇所を完全制覇!音楽はクラシックが中心。ヴァイオリンの演奏もします。最近は健康のためにランニングを開始。マラソンも。Marathon du Médoc 2014含む数回のフルマラソンを完走しています。