San Leo(サン・レオ)-★★★★★:イタリアの最も美しい村巡り No.6

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訪問日時:2019年4月30日、午後8時頃、1泊

平成最後の宿泊地、そして令和最初の最も美しい村は、サンマリノ近くにあるこちらの村。

再びボローニャへ戻り、一路東へ。エミリア・ロマーニャはこの辺りから東エリアはずっと平坦で、さらにはアップダウンもほとんどなく、とても見通しのよい高速が続きます。高い山も建物も一切いない光景はとにかく空が広くて、やや曇りがちとはいえどもとても開放的な気分での運転ができました。これだけ開放的な広い空は、数多くヨーロッパをドライブしていましたが、なかなかお目にかかることはないと思っています。

このエリアは12年前に同じくボローニャからラヴェンナへ向かったときにも走りました。この空の広さは印象はとても強烈だったのでよく覚えています。あの時もちゃうど同じくらいの時間帯でした。

平成最後の宿泊地

アドリア海方向一路東へ、向かった先はサンマリノ郊外にあるイタリアの最も美しい村の一つ「San Leo(サン・レオ)」。この日の宿泊地です。

高速を降りて一般道を1時間弱。このあたりは、先程の高速道路の平坦な地形とはうってかわって、標高こそ高くはないのですが、丘が多くあってアップダウンがありそしてほぼ真っすぐな道がない場所でした。そして予想していた以上に自然豊かなエリアでした。

サンレオの村はサンマリノ共和国の西側に位置する高くそびえ立った山の頂上にある村でした。あたりにはこうした村がいくつか散見されるわけですが、とりわけサンレオはその頂上にそびえる強固な要塞が非常に印象的です。その要塞から見下ろしたところに村がありそこが我々の宿泊地となります。

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到着は夕方だったので村の中はひっそりとしていましたが、観光客は多いのでしょうか、ひろい駐車場のスペースが用意されていました。夕暮れ過ぎた時間帯にはほとんど車は停めっていませんでしたので、村の入口に近いベストな場所に駐車することができました。

よい場所に停めたといってもホテルは村のはずれの方だったので、数100メートル歩く必要はありました。

家族でほのぼのと経営している雰囲気ホテルでした。中へ入ると、ホテルの人は、日本人だということもあり、すぐに予約しているということを察してくれたのでチェックインはスムーズか、と思ったのですが、やはり語学的なところ、向こうは英語があまりできなかったこともあって、少々時間はかかってしまいましたが、無事にチェックインを済ませることはできました。

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ホテルにはレストランが併設されていますので、この日の夕食はここでいただきました。

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ダルマツィアの大工出身の聖人が逃れてきた山「サンレオ」「サンマリノ」

さてここ「サンレオ」、このエリアにある同じような山の上にある別の街として有名なのは「サンマリノ」です。実は両方とも同郷の出身者に由来するまるで兄弟のような街だったのです。 3世紀後半から4世紀の頃、ちょうど対岸にあるダルマツィア(現在のクロアチア)から、イタリア・リミニの城壁州区普光寺のためイタリアにやってきた石工であるマリオとエレオは、敬虔なキリスト教徒でした。

しかし時代はまだローマ帝国でキリスト教が認められず迫害されていた時代。彼らは時の皇帝ディオクレティアヌスの迫害から逃れるべく、マリオはティターノ山へ、エレオはフェレトリオ山へたどり着きました。

その後、2人は聖人化され、ティターノ山は「サンマリノ」、フェレトリオ山は「サンレオ」と呼ばれるようになりました。 現在ではフェレトリオ山のサンレオからは、はっきりとサンマリノの街を見ることができました。また、このあと訪れたのですが、ティターノ山のサンマリノからも少々見つけづらかったですが、フェレトリオ山のサンレオの街を見ることができました。(以下の写真はサンレオ要塞から見たサンマリノの光景)

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村には美しい教会が2つも

翌朝はホテルでシンプルな朝食を頂いたあと、村を散策しました。村自体はとても小さいのですが、中央にある小さなカテドラルと、それにほぼ隣接するような形で教区に属しているという教会、合わせて2つもの教会があるのが特徴。しかも、それぞれがとても立派で美しかったのが印象に残りました。

まずはカテドラルを見学。様式はロマネスク・ロンバルド様式、ビザンツの様式の影響もあると公式サイトには書かれています。そしてそれぞれの教会は8世紀から10世紀に頃に建てられたとされています。現在の形になったのは1173年ということです。

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教会の中には地元のガイドさんがいまして、イタリア語のみでしたが観光客向けに教会の解説をしていました。理解できず、でしたが。なお、入り口にはファサードはありませんでした。

続いては「ラ・ピエーヴ教会」、カテドラルの真向かいにあります。こちらも入り口はファサードはなく、横脇から中へ入るタイプでした。小規模ながらロマネスク・ロンバルド様式の美しい教会です。

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こちらの教会は伝説によれば、前述しました紀元280年にダルマツィアで生まれた聖サンレオが、皇帝ディオクレティアヌス、次の皇帝皇帝マッシミアーノらによる迫害を恐れてこの地に逃れてきたのですが、この教会は聖サンレオが祈りを捧げたとされる場所に建てられたとのことです。

難攻不落な要塞でありかつ脱獄困難な監獄でもあった要塞へ

続いて要塞へ。要塞へ行くには歩いて登るか、あるいは中央広場からのシャトルバスを利用するか、です。バスは1ユーロくらいだったと思います。我々は歩いて登りました。多少坂はきついですが距離はそんなにありません。ゆっくりいけば問題ないでしょう。

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この要塞はルネサンス期にはウルビーノ公爵の支配下で不落の要塞として名を馳せていたそうです。

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そして、牢獄としても使用されていたということでも知られています。実際、要塞内には囚人の部屋、拷問の道具などの展示のコーナーもありました。非常にリアルな拷問の道具が展示されていたりと、おどろおどろしい雰囲気でもありました。

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ちなみにここに幽閉され獄死した人物のひとりで「アレッサンドロ・ディ・カリオストロ」という人物がいます。となると連想されるが「ルパン3世カリオストロの城」なわけですが、実はこのルパン三世の映画のモチーフとなった、本家本元モーリス・ルブランによるアルセーヌ・ルパンシリーズ「カリオストロ公爵夫人」とは、このアレッサンドロ・ディ・カリオストロの娘という設定になっているのです。

この地の有名人ということで、パネルでも大々的に解説がされていました。

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アレッサンドロ・ディ・カリオストロという人は、18世紀に生きた人物ですが、詐欺師としても知られています。もっとも詐欺行為で捕まった原因となったマリー・アントワネットを巻き込んだことでも有名な「首飾り事件」では、単に主犯者と懇意があっただけで事件とは無関係だったにも関わらず逮捕されたようです。ただ有罪となり投獄されたのは、ローマ教皇直轄領下でフリーメイソンの活動が原因で、はじめはローマのサンタンジェロ城に投獄、その後、ここサンレオに移されて、ここで生涯を終えたのでした。

現在の要塞では、実際に彼が獄中に過ごした部屋、そしてその真上にある監視部屋に入ることができます。カリオストロ伯爵が過ごした監獄内のベッドらしきところには花束が飾られていました。

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この要塞、要塞自体の眺めだけでなく、武器庫、牢獄の様子、そしてアート関連の展示も数多くとても見応えがありました。

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もちろん要塞からの眺めは抜群でした。

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多くの観光客で賑わう村の中心

要塞見学を終えて再び村の中央へ。ちょうど正午くらいになってました。気がつけば昨日到着時にガラガラだった駐車場はほぼ満車状態。この日は祝日で天気も良かったこともあって自転車で村まで来た人も多数いました。どのお店も満席状態。本当ににぎやかな雰囲気でした。

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村の中央にある観光案内所兼ミュージアムは、ルネサンス期には当時この街を治めていたフィレンツェ公国メディチ家のお屋敷だったそうです。

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ミュージアムは見学しなかったのですが、おそらく観光案内所でこの街のパンフレットを入手していたみたいです。この投稿の参考にさせてもらってます。

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よく見たらカリオストロことも詳細に書いてありましたね。現地では景色ばかりに目をとられ文字情報を追うが疎かになりがちです。

非常に印象的な光景と要塞があるがゆえ、観光客は多く、街の風景も非常によく維持されている大変美しい村でした。

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最後に街を出発、前日は撮影できなかった街へと向かう道から要塞とその要塞がそびえ立つ絶壁がよく見えるところで車を停めて写真撮影をしたのですが、そのスポットの駐車場も多くの人で賑わっていました。

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予想以上に見どころ満載。さらには外から、中からの村の景色の素晴らしさ、そして見ごたえある要塞、宿泊施設やレストランも十分、間違いなく最高の評価を与えるしかないイタリアの最も美しい村に間違いないでしょう。令和元年最初の美しい村、上々のスタートが切れたと思います。

プロフィール

都内の会社に務める傍ら、休暇を利用して旅行をしたり音楽活動をしているビジネスマン。趣味は、旅行、音楽など。旅行はヨーロッパが中心、現地でレンタカーを借りて旅することにはまっています。フランスの最も美しい村全156箇所を完全制覇!音楽はクラシックが中心。ヴァイオリンの演奏もします。最近は健康のためにランニングを開始。マラソンも。Marathon du Médoc 2014含む数回のフルマラソンを完走しています。